思い出の一品「石斑清蒸」

2012.06.30

 TAO創刊以来、たくさんの料理人の話を伺ってきた中で、今回紹介するミュージックグルメ船コンチェルト取締役総料理長鍾 戚 榮さんほど「愉快」な人はいないでしょう。インタビューしている約2時間、ずっと笑いっぱなしであったと言っても過言ではありません。鍾さんの裏表のない性格は聞き手をすごくリラックスさせ、その場を和ませます。日本に来て35年、関西を中心に活動され、その人脈の広さ、深さには本当に驚かされますが、それが鍾さんの人間的魅力によるものだということがよく分かりました。

 

「ミュージックグルメ船 コンチェルト」
取締役総料理長 鍾 戚 榮さん

1948年 香港生まれ

鍾さんは1948年、香港で貿易商を営むお父さんと近所のレストランのお手伝いをしていたお母さんとの間に生まれました。6人兄弟の2番目、次男坊でした。中国料理との接点は、中学生のときの夏休み、お母さんの知り合いのレストランで皿洗いのアルバイトをしていたときでした。

「ある日、調理場の先輩が賄いに誘ってくれたのね。その日のおかずはお客様が食べ残した『蒸し魚料理』「石斑清蒸」で、これですっかり料理の世界に魅せられてしまったよ」と笑いながらおっしゃっていただきました。写真はコンチェルト厨房の水槽で泳いでいた、丁度食べごろサイズの活石鯛の清蒸です。今から45年前、この料理を口に運んだ瞬間、半世紀近くに及ぶ鍾さんの料理人人生が始まったのです。

 

 鍾さんが16歳のころ、折りしも、お父さんの事業が思わしくなく進学を諦めざるを得ませんでした。そして平凡な事務員になるかコックになるか決めなければならないとき、迷わずコックを選んだのです。アルバイトでの『蒸し魚料理』体験と「コックの方が住み込みだから食べることや住むことには困らないから親に負担をかけないでしょう。」が決め手になりました。ちなみに初任給は80香港ドル。10ドルだけ手元に置いて、残りは全て親元に送金する孝行息子でもあったのです。

 さて、持ち前の好奇心と頑張りでメキメキ腕をあげた鍾青年は、22歳のときマカオの5つ星であるホテルリスボア・マカオ(澳門葡京酒店)の二番手として着任します。実力主義の料理人世界とはいえ、この若さでは異例の抜擢といえるでしょう。ところが「マカオといえばギャンブルでね、あまり褒められたことではないんですが・・・」と前置きして「ブラックジャックやらドッグレースやらで、気がついたら2年半働いて3年分負けてしまった(笑)。」と豪快に笑い、「これはもう借金返すには、当時誘いのあった日本に渡るしかないなと腹をくくりました。」いよいよ来日する日が来たのです。

 

 25歳の鍾さんが日本の土を初めて踏んだのは1973年の大阪でした。まだ万博景気の冷めやらぬ梅田で当時珍しかった広東料理の太湖(現北阪急太湖)を立ち上げました。たちまち人気店となり北京料理の名店・老舗である大成閣や徐園と肩を並べるまでになります。「3年で借金返して香港に帰ろうと思っていたんだけど、仕事もおもしろくなってきてね、帰りそびれちゃった・・・。」 このころの太湖には今の関西を代表するホテルの料理長が続々集まってきました。ポートピアホテルの石塚さん、岡本さん、メリケンオリエンタルの下村さん、リーガロイヤル堺の内田さん、名古屋マリオットホテル木下さん等々・・。さらにホテルプラザの張料理長や日航大阪の梁さん、エクシブ浜名湖の森さん、東洋ホテルの伊さんらそうそうたる料理長とも親交を深めてゆきました。

 そして、鍾さんの運命を決定づける出来事が1983年におこります。それは関西で初めての本格的な満漢全席への挑戦でした。太湖のオーナーが開店10周年を記念して各界のVIPを招待したこの企画を、鍾さんは責任者として成功させ、ますます日本の中国料理に可能性を見出すようになりました。さらに1985年、第1回の大阪食博が開催され、(社)日本中国料理協会の故住谷大阪本部長、地元のホテル料理長ともに力を合わせ、大阪に「広東料理」ブームを巻き起こし、「広東料理」を根付かせたのです。

 

 翌年、北浜にできたライオンズホテル大阪の中国料理「香花苑」総料理長に就任。次は香港から招聘した特級点心師による飲茶ブームを仕掛けます。「当時はバブルの走りでね、景気のいい証券や銀行、不動産のビジネスマンらが行列をつくっていましたね。香港スタイルでのワゴンサービスは、当時すごく新鮮で評判良かったよ。当時は私もバブルでね、儲けたお金は全部、北新地で使ったよ(笑)。」

 

1995年1月、阪神淡路大震災が発生。神戸に居を構えていた鍾さん自身も被災者でしたが、地元の人々と協力して神戸の街の復興に尽力します。そんなときに現職のミュージックグルメ船コンチェルトのプロデュースの話が持ちかけられます。

 

 コンチェルトは神戸港から明石海峡大橋や大阪湾を巡る、もともとはフランス料理のディナークルーズ船。阪神淡路大震災の直後、大阪との陸の交通網がことごとく寸断されていたとき、この船もボランティアや市民の足として活躍しました。停電で漆黒の神戸の街から出港するこの船を眺めつつ、地元神戸出身である南部靖之氏(人材派遣大手のパソナグループ代表)は、神戸復興のシンボルとして自分の大好きな中国料理と音楽で、この船を再び就航させることとしました。

 

 船内での調理は大変でしょうと訊ねると「まあ、揺れるのはしょうがないけど、逆に9割が予約のお客様だから材料の仕入や仕込みはやりやすいよ。それより工夫のしどころは出航してから帰港するまでの約2時間、いかにお客様に喜んでいただけるかだね。」コンチェルトには若いスタッフが多く「シンデレラプラン」といったプロポーズを応援するプランなどユニークでロマンチックなアイデアが次々と企画化されているとか。「デザートの中にキラリと光るものがあってね、彼女が何かしらとフォークで取り上げると婚約指輪が出てきたりするの。」と鍾料理長も実に楽しそう。「僕はね、お客様がこの船で、おいしい料理を召し上がっていただいて、素敵な音楽を楽しんで、きれいな神戸の夜景を眺めてね、一生の思い出をつくるお手伝いができたらいいなと思っているの。」と熱い思いを語っていただきました。

 

 2003年11月には、本国の中国飯店協会(日本でいうホテル協会)より技術の普及、人材の育成など長年にわたる業界への貢献により「中国烹任大師」に認定されます。この称号は現在、中国国外の厨士はわずかに10名、うち日本では鍾料理長を含め2名が認定されています。その後も国内外の数々の賞を受賞したり役職を拝命したりと大変お忙しい料理長です。

 

 プライベートでは、10歳も年下の奥様とは大阪で知り合いました。「彼女は大連出身。大阪の本町にある国際ホテルで働いていたとき知り合ったの。結婚して今年で25年になるね。」

2人の息子さんに恵まれて長男は料理人、次男はデザイナーの道を進まれて既に親からは独立してしまいました。神戸の自宅では奥様と2匹のパピヨンとマルチーズのミックスの3匹のワンちゃんと仲良くすごされています。たまの休みに奥様と旅行に行ったり、おいしいものを食べに行ったりすることが楽しみだそうです。

 

最後に業界を取り巻く厳しい状況にも言及され「今の中国料理はダンボールの豚まんや農薬ギョーザの事件で、すごく逆風でしょう。調理師学校でも中国料理の希望者がたったの5%しかいない。こんなときこそ、業界が力を合わせて本当の中国料理の実力を大いに発信してゆきたいね。まだまだ中国料理には秘めたパワーがあるってことを日本の人々に分かってもらうよう、頑張るよ!」と業界全体に熱いエールを送られました。今年還暦を迎える鍾料理長ですが、まだまだバリバリの現役エネルギーを感じました。

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