思い出の一品「天津飯」

2012.06.30

 今回は京都地区からの思い出の一品です。京都市街地から少し離れた、宇治川に程近い閑静な住宅街にある中国料理游鈴、オーナーの鈴木さんを訪ねました。 鈴木さんのこれまでの経歴や昔話、若い世代へのメッセージ、そして思い出の一品など、盛りだくさんのお話をお伺いすることができました。インタビューさせていただいた編集員も帰路では「今日は良い話きけたなぁ」としんみり思い返しました。

「中国料理 游鈴(りゅうりん)」
オーナー鈴木 安夫さん

1955年 2月生まれ

 鈴木さんのお生まれは昭和33年2月20日、千葉県袖ヶ浦市のご出身です。野球や空手などで汗を流した、いわゆるスポーツ少年でした。ご実家では左官屋を営んでおられて、お父様は左官職人。そんなご両親を見て育った鈴木さん、中学の頃には「自分も将来は手に職を持ちたい」と強く思うようになりました。

 数ある職業の中でも料理人を目指したのは、その当時でもよくお弁当や料理を自分で作っていたからで、これが自分の好きなことだと感じたからだそうです。そして、高校卒業後は調理師学校に進学することを決意されました。

 

 鈴木さんが入学したのは大阪阿倍野の辻調理師専門学校。千葉から東京の学校ではなく、大阪の学校を選んだ理由はなぜでしょう?「逃げ道を作りたくなかったんですよね。挫折して、すぐ帰ってしまわないように、あえて遠く大阪の学校に決めたんです。」

進学と同時に、大阪堺市の鳳蘭という中華料理店へ住み込みで働きはじめました。「ここは忙しいお店でしたね。私は主に出前をしていたんですが、おかもち持って走り回っていました。この時は本当に体を鍛えることができましたよ。(笑)」

 ここでの経験が、数ある料理の中でも鈴木さんを中華へと進ませるきっかけとなりました。鈴木さんがこのお店で働いて最初に食べた料理が、今回の思い出の一品でもある天津飯です。まだ料理人を目指して学校へ通い始めて間もない頃で、一番印象に残っているそうです。今でも天津飯を見ると、「いつか自分にこんな料理が作れるようになるだろうか?」と、夢や希望を持っていたあの頃を思い出すようです。

 

 鈴木さんが19歳の頃、大阪梅田の阪神百貨店内に華都飯店があり(現在は中央区に移転)、こちらで当時の料理長、田口茂雄さん(現 京都 華祥 オーナー)の下で働き始めました。「もちろん見習いからのスタート、寮に入っていたものの、給料も安かったし、ハードな毎日でした。最初の3年間なんかほとんど休みなく仕事していたような記憶がありますよ。」しかし、この経験があったからこそ、今でもしんどいことでも頑張れるようです。「働き詰めっていう事を、若い時に経験できて良かったと今では思っています。こういうことは、絶対に若い時に必要ですよ。」また、ここでは内田  和夫さん(現  リーガロイヤルホテル堺  中国料理龍鳳  料理長)など、目標となる良い先輩がたくさんおられました。その5年後、田口料理長とホリデイ・イン京都内の華都飯店への異動に伴って、鈴木さんも京都に赴かれました。こちらでも内田さんや、田中理愛(まさよし)さん(現  ホテルニューオウミ  中国料理  桂林  料理長、下村 和広さん(現 しょうざん 料理長)など、そうそうたるメンバーと共に働くことになりました。「今思うと本当に恵まれていましたね。あの時の経験は私の財産ですよ。やっぱりどんな環境に身を置くかで将来が変わってくると思いますね。」

 京都華都飯店で料理の腕を磨くうちに、鈴木さんは四川料理ばかりでなく、他の料理にも挑戦したいという気持ちが芽生えはじめました。おりしもその頃、御池京都ホテルに陳藹祥(あいしょう)さん(故人)が料理長として赴任されたのをきっかけに、伝手があって鈴木さんもこちらへ移籍されました。28~9歳の頃です。ここでは広東料理を学ぶことができました。「最初は、広東料理の読みが分からず本当に苦労しました。ある程度四川料理でやってきて、覚えてきたことと全然違うので、戸惑いの連続でしたね。この時は、あえて一から勉強しました。今思えばこの経験もプラスになってますね。」

 

 鈴木さんが32歳の時、醍醐プラザホテル内に新たに中華料理レストラン美齢(メイリン)がオープンしました。田口料理長からこのお話を紹介され、当時醍醐に住んでおられた事もあり、こちらへ副料理として赴任されます。その当時はちょうどバブルが終わりかけの頃、最初は好調だった売上が、わずか1~2年後にはひどく落ち込んでしまいました。オープンから4年ほど後に料理長が退職され、鈴木さんが料理長を引き継いだ後も、厳しい状況は続きます。「美味しい料理を作る努力はもちろんだけど、あの頃は自分でチラシを作って自分たちで配ったりポスティングしたりと必死でしたね。」こうした努力と料理の味で、醍醐プラザホテルの和・洋レストランが赤字続きの中で、美齢だけは徐々に売上げを伸ばしました。

 

 鈴木さんが料理人となってからの夢は、独立して自分の店を持つこと。醍醐プラザで料理長を担っていた頃も、この夢を忘れたわけではありません。しかし料理長という責任もあり、なかなか踏ん切りの付かない日々が続きました。年齢的にも今はじめないと厳しいだろうと思い、16年勤めた醍醐プラザを退職して独立を決意されたのは、鈴木さんが47歳の時です。

 新たにお店を立ち上げる際に、コンセプトは「自分が今までやってきた料理を気軽に、そしてリーズナブルな値段で食べてもらうこと」としました。敷居の高いホテルのレストランの料理を、気軽に楽しんでもらえるお店にしたい、という鈴木さんの想いが強く込められたお店、游鈴が、2005年2月宇治市木幡にオープンしました。

 店名にある游の文字は、仏教用語で「先のことを思い悩むのではなく、今この時を大切に」というような意味があるようです。鈴木さんはこれを「その時その時のお客様に、精一杯美味しい料理を提供して喜んでいただく、その瞬間を大切にする」と解釈し、自分へのお店に対しての意気込を込めてこの字を使いました。これにご自分の苗字の「鈴」の文字と組み合わせたのです。文字の正しい読みは「ゆうりん」なのですが、語呂と音の響きが中華料理のイメージに合うので「りゅうりん」とされたようです。

 オープン直後、既に游鈴は忙しい繁盛店でした。特に宣伝をした訳でもないのに、醍醐プラザホテル当時のお客様が、鈴木さんの行く先を聞きつけて追いかけて来てくれたのです。「本当に嬉しかったですよ。自分が思っていた以上に、お客様は味で来てくれていたんだなと思って。料理人冥利に尽きます。これまでやってきたことは間違いじゃなかったと確信できました。」

順調なスタートの後も、游鈴は口コミでお客様が集まります。お客様は近くに住む常連さんが多く、週に2~3回来店してくださる方もよくおられます。

 

 2008年2月、游鈴は伏見桃山に2号店をオープンしました。「もともとは多店舗経営をしたかったわけではなく、じっくりやりたかったんですよ。でも、“この店だけでやる分にはこの先も十分やっていける自信があるな”って思った時に、自分は守りに入ってしまっていると思ったんです。もっと挑戦をしていかなければいけないと思いました。」2号店を立ち上げる際に考えたことは、“自分で商売をしたいけどどうすれば良いかわからない人へ、何か少しでもきっかけを与えることができれば”と言うことでした。「やる気があるけど、何をしたらいいか分からないコックさんに、自分の持っているノウハウや知識を出して、できる限りのサポートもして、一緒にあーだこーだ言いながらやっていって、それでいつかお店を経営していけるようになっていけば。独立の手助けって言ったら大げさですけどね。」

 現在2号店の経営は完全に任せています。更には、近々3号店オープンの話もあるようです。「醍醐プラザがあった場所の近くの居酒屋のオーナーが、隣に空き店舗が出たので声をかけてくれたんです。『あの時の鈴木さんの味が忘れられない人が今でもたくさんいるよ』って言われて、やってみようと思いました。」

 

 これからの業界を担う、若い世代へのメッセージをお願いしました。「将来にどんな目標やビジョンを持つかですよね。料理人だったら最終的には、いつか独立して自分の店を経営する、どこかのお店で料理長となる、雇われ料理人でずっとやっていく、この3つのうちのどれかしかないと思うんですよ。どれを目指すにしても、しっかりと目標を立てて、夢を持って頑張っていくことですね。最初は見習いから始まるわけですが、雇われているうちは、そのお店が繁盛することを考えて必死でやる事。それが結果的に自分の為になるんです。あと、素直で謙虚になること、周りの人に感謝すること、これが一番大事です。若い頃はなかなか気付かないのですが、後々『あぁ、あの頃言ってもらえて本当によかったな』って思うことはたくさんあるんです。」

 「本気で商売をしたいという夢がある方は、教えるから来なさい」とおっしゃる鈴木さん。これは冗談でもなんでもなく、夢があってやる気がある人のためになら、参考になることは何でも隠さずに教えるとの事です。「商売なんて、死に物狂いでやらないと成り立たないですよ。そんな覚悟を持った方は、どんどん来て下さい。」

 

 さて、そんな鈴木さんに趣味や休日の過ごし方をお伺いしました。「今は時々ゴルフするくらいですね。若い頃はスキーとかしていたけど。休みの日もお店のことをしています。たまにスーパー銭湯に行くくらいですね。」ご家族は、京都ホテル時代に知り合った奥様の幸子(ゆきこ)さんと、小学生から高校生までの4人のお子様がいらっしゃいます。お店の近くにお住まいなのですが、ずっとお店のことばかりで、お子様にはさみしい思いをさせているとの事。「経営者だからやる事が山積みあって、お店が定休日でも仕事はたくさんあるんです。体が2つか3つ欲しいです。」

 最後に、鈴木さんに今後の夢をお伺いしたところ、「夢と言うか、理想は完全予約制の小さい店を奥さんと2人でやりたいですね。1日10人までとか限定するような感じで。とにかく体が動くうちは、たぶん一生料理人をやってますよ。お客さんが料理を食べた瞬間に、ニコッと喜んでくれる顔を知っているから。この嬉しさに味をしめて、料理人はずっとやめられないと思いますよ。」

 

 「若い世代の料理人たちに夢を与えていける道を私たちが歩んでいかなければ」とおっしゃる鈴木さん、次世代を育てる強い使命感を感じました。そして何より、夢を持つ事の大切さを教わりました。

 

游鈴 伏見店

京都市伏見区新町4-465-5

TEL:075-621-8858

游鈴 木幡店

京都府宇治市木幡西中31-7 ハイクラスマンション1F

TEL:0774-33-3151

 

 

 
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